大阪の奥地、自然に囲まれた民家で、アサギストのあゆみん指導のもと鶏をシメて捌き調理して皆でいただくという会なのれす。参加してきまひた。
あさぎストになってから、「東京楽しーー」からの、俗にまみれた夜遊びパリピヴォンナ的な方向に全力で振っているワイであるが🐣がはは
だけど、根本は自然の大地が好き田舎こそがマイホーム🙂↕️ウムー
本来は雄大な自然とともに生きる事の重要性や尊さ美しさにときめく寡黙人間なのれある。結局は皆ここに帰るんだてワイはオモウ。
そんなこんなで、今回は大阪の奥地の自然溢れる民家で、鶏ちゃん🐓を捌く、、イベントに参加しまひた。つまり、ホームなイベント🐣🫰
しかし私は命をいただく事に心震えてた。恐怖、好奇心、不安、使命感?、壮大な命の輪廻に触れるような感覚、説明出来ない。心が震えていた。
だけど私は、自ら鶏ちゃんを捌く!やると決めて行った。
私は出来る。心震えても歩みを止めない。どんな時も歩みを止めない。その先の体験を自分に見せてあげるために歩みをとめない。
だからやる。出来る。
可愛い鶏ちゃん、、
「はあ。はあ。」
この美しい命を今から私の手で肉片にするとな?
このあたたかく柔らかくて可愛いこの命を?
、、、いや。食物連鎖やん?
今更何を綺麗事を言っているんだあやか。散々鶏肉どころかあらゆる奪われた命の先にある肉片を美味しく食べてきただろう?
ワイは今まで肉の塊を命として見ていなかった。
なんて鈍感で浅い生き方をしていたんだ。活字では知ってた。鶏肉は鶏さんの命をもらっている事。
自分が体験して感じる事でしか腹から理解するなんて事は出来ないんだと改めてオモタ。
涙が出てくる。なんて私は鈍感なんだ。
いや、この今の体験で知った気分になる自分キモくないか?
壮大な命の巡りの循環を、、こんな一度の鶏ちゃんの命で?
なんと、浅く、鈍感、自己中心的、、、
はあ。嗚呼無情。ジーザス!
、、んだが!それでも、そんな自分でも!今、今日、向き合うんだ。この目の前の尊い鶏ちゃんの命と。
脳内議論が飛び交いつつ、一方で、わりと冷静に命の巡りについて思い馳せる。なんと美しいんだ。
この美しい鶏ちゃんの命をいただく体験することもまた美しいのだろう。
命の巡りを感じ、今からこの鶏ちゃんの首に刃を立てる。これに、葛藤や恐怖を感じるというのは、この美しい鶏ちゃんの命に失礼なのでは、、?などと、また思考を巡らせる
「はあ。はあ。」
あゆみんが鶏ちゃんを吊り下げてくれて命を絶つ準備をしてくれる。吊られると鶏ちゃんは頭がぼーっとして動かなくなるのだとか。
鶏ちゃんのあたたかい首を押さえて鶏ちゃんの首に刃をグッと入れる。
新鮮な血が滴る。この血はつい今まで鶏ちゃんの体を巡っていた生命活動の源。
“赤”とはまさにこの色だ。
絵の具なんかじゃ表現出来ない“赤”。どんなに絵の具でこの血を描いても表せられない新鮮でピュアな“赤”
「はあ。はあ。」
鶏ちゃんはタヒを迎える前に一度体をバタつかせる、、。
お亡くなりになったのを確認するとお湯につける。羽根がむしりやすくなる。
羽をむしり、キッチンに移動して鶏ちゃんを捌いていく。肉を骨から外し部位ごとに切り分ける。内臓は美しく複雑で外見だけ見ていてもわからない生命維持のための役割の多さを感じた。
あと、皮膚の内側ってのは丸みと水気があってあたたかく柔らかいんだなってオモタ。
血も火を通すと固まって食べられる。シラナカター
それがね、めっちゃ美味いのです。そちて、ひとくち食べただけで身体にエネルギーが溢れる感じがする
。目がバキッてなって、身体がハスハスって元気になる。前日に夜遊びまくりでNO睡眠のワイ、目がバキり「今夜もこのままイケる気がする、、むしろ精リョクついたわ。ふふふ🙂↕️」
こんなに美味しいのなら鮮血はもっと美味しいのでは?と、バンパイヤの気持ちを理解🙂↕️
バンパイヤが不老不死なのは頷ける。ワシも不老不死目指してるからして、若い女の血を吸う人生を歩みたいなりな、、などと感動体験をした。
みんなで「いただきます」して鶏ちゃんを食した。お肉はもちろん内臓、とびきり美味しくって涙が出てきた。命とはなんと美味しいのだ。
ついさっきまで命だった、、尊いなあ。
嬉しいなあ。命の美味しさを知れて嬉しいなあ。
涙が出る。
みんなで体験できた事、真摯に鶏ちゃんの命に向き合えた事で胸いっぱいであった。
この気持ちを言語化したい。この気持ちに名前をつけたい。と考えあぐねたけれど表現するにはあまりに言語が少なすぎる(ニーチェ)
帰り際、さっき鶏をシメた庭先を見た。
さっきまでいた命が、消え去っても何も変わらない景色がそこにはあった。たしかに命はそこにあった。が、今は無い。
あゆみん命を学ぶ良き機会「鶏を捌いて食べる会」企画をありがとう。一緒に参加してくれた皆ありがとう。とても幸せな体験でありました。
おわり🙂↕️🫰
